指導者の務め~「出来る」と「出来ない」の壁

指導者とは人に教える立場なので、やはりある程度まともに演奏できるレベルに達していることが必要最低条件です。ただ、演奏が出来れば教えられるものでもありません。出来ることとそれを教えられることは全く別の能力で、出来るけれど上手く言葉に出来ないことの方が多いのが普通です。

 

私が学習者の頃(今でも学ぶことは山ほどありますが、便宜上)、上手い人に自分の出来ないことを相談したら、「それが出来なかったことがないからわからない」と言われてショックを受けたことがあります。

 

大抵の場合、練習は自分自身が上手くなるためにすることです。なので、自分が出来るようになったことを深く考える機会はあまりないのかもしれません。

 

学習者が、「なぜ自分が出来ないのか」「どうすれば出来るようになるのか」を考えるのと同じくらい、あるいはそれ以上に指導者は、「なぜ自分が出来るのか」「どうすれば出来ないようになるのか」を考えるべきだと思います。

 

出来る人で、「なぜこんなことが出来ないのかわからない」と思う経験をした人は少なくないように思います。

 

出来ない人は同じように、「なぜ出来るのかわからない」のです。

 

つまり、「出来ない→出来る」も「出来る→出来ない」も、同じ壁があるということです。

 

出来る人の、「自分はこうやったら出来る」というのは当てになりません。その人の感覚でしかないからです。そういう人は、わざと出来ないようにしようと思っても意外と出来てしまったりします。どうすれば出来ないのかがわからないからです。

 

出来る状態と出来ない状態の両方を知り、その差を考えるのが、指導者の務めではないでしょうか。